interview
塚原あゆ子監督
インタビュー
── コミカライズを含め非常に人気の高い原作ですが、魅力を感じた点を教えてください。
 映画化の企画にお誘いいただいた時に小説とコミカライズの両方を読みましたが、勢いよく読ませる作品だなと感じました。先を知りたいと思わせる力があり、一気に読み終えてしまいました。ただし、ファンタジーやアクションの要素もある作品ですから、私が監督することがベストの選択かどうか疑問ではあって。私はこれまでアクションを多く撮ってきてはいませんし、CGにものすごく精通しているわけでもありません。むしろ人物描写の生っぽさみたいなものを信条にやってきましたから、自分が監督するのであればラブストーリーや人間ドラマをどこまで切り取れるか。そこで勝負することになるのかなと感じました。
── 実際、主人公である清霞と美世のラブストーリーが物語の中心にあります。
 2人の感情の機微を丁寧に描くことが、映画化における課題でもありました。男女が出会い、お互いに近づいていくシンプルな展開ではありますが、2人の気持ちの通い合いが現代の物語ならもう少し速く進むはず。「好きか嫌いかはっきり言えばいいのに」という時期が、現代であればあるほど短縮されてきています。その点、彼らが生きているのは明治・大正を思わせる世界です。“現代とは違って、閉じた2人”なので、徐々に徐々に近づいていくのが魅力だと思いましたし、原作ファンの皆さんが愛していらっしゃるポイントだとも感じていました。
── と同時に、清霞と美世がそれぞれ自分と向き合っていく物語でもありますね。
 “王子様に見初められました”というところで終わる話ではないんですよね。義母らに虐げられてきた期間のトラウマが、美世の人格形成には大きく影響している。そんな彼女がどのように解け、芯を持ち、強さを身につけるか。男性に引き上げられ、愛されることで何となく自信をつけるのではなく、相手と自分を信じ、認めることが強さの原動力になる。一方、清霞はもともと芯を持っている人ですが、芯が強いからこそ孤高に生きている節があって。隣に人がいる必要などないと思っていた彼が、誰かがそばにいることに慣れていく。それが、自分をさらに強くするのだと理解していく。そういった変化が物語上に表せればいいなと思いました。
── 劇中では、それぞれのモノローグから心情の変化を感じることもできます。
 心の中の風景が詳細に描かれているのが、原作小説の魅力の1つでもある。とは言え、映像作品の場合、モノローグを多用しすぎると役者の表情を説明しすぎることになりかねません。なので、心の中の言葉をダイレクトに伝えたいところと2人の気持ちを想像してほしいところ、それらのバランスを取ることに気を配りました。自分のことを語りすぎる主人公たちにはせず、彼らが自分自身に向き合っていることが分かっていただけるように。その結果、短い時間で原作の物語をより楽しんでもらえることが理想でした。
── そんな清霞を目黒蓮さん、美世を今田美桜さんが演じています。
 目黒さんも今田さんも、キャラクターについてよく考えてくださっていました。目黒さんはすごく真摯な方ですし、今田さんはいるだけで現場が明るくなるムードメイカー。2人で何かを相談し合うことはなくとも、相手の芝居に対して熟考して、いい距離感でした。お互いの気持ちを察することで近づいていく物語なのに、「このシーンはこうだよね」と喋り合う距離感だと、逆に分かり合いすぎてしまいますから。
── 撮影現場での目黒さんと今田さんに関して印象的だったことは?
 お2人とも表情の話になりますが、今田さんに関しては美世が清霞の食事をお台所で作る日常のシーンなど、自然な表情を感じられる箇所が多々あって素晴らしかったです。一方、目黒さんは殺陣のシーンですね。そもそも、私は予定調和な殺陣が得意ではなくて。けれど、アクションを撮る以上は安全面を十分に考慮し、“段取り”をしていかなくてはならない。それでも俳優さんたちには相手の攻撃を驚きながら受け止めてほしいし、真剣に戦っているからこそのぐちゃぐちゃっとした混沌を見せたいんですが、そこがなかなか難しいのがアクションというもの。そんな中、目黒さんは決められた動きだと感じさせることなく、戦っている清霞の表情をちゃんと見せてくれました。
── 清霞と美世を取り巻く登場人物たちも個性派揃いです。
 新(渡邊圭祐)は単なる悪者にも見えかねない人ですが、彼の人生において美世がどんな存在であるか。原作でもまだ語られていない部分が多かったので、脚本家の菅野さんと一緒に彼の心情を想像していきました。一方、香耶(髙石あかり)も単なる悪役ではなく、彼女の中には彼女なりの気持ちがきちんとある。お姉ちゃんのものが欲しい“妹感”やお姉ちゃんをやっかむ気持ち。キャラクターをなるべく見せたいと思いました。自分の婚約者はお姉ちゃんに優しいわけですから、なおさら気持ちがぐじゅぐじゅしますよね。継母の香乃子(山口紗弥加)もそう。気持ちがこじれた理由を、髙石さんと山口さんが視線や表情で見せてくださっています。また、堯人(大西流星)は特別な存在で、清霞とも美世とも違う生き方をしてきた人。その違和感や異質さを、大西さんが持ち前の魅力とともに表現してくれました。
── 京都、奈良、三重、兵庫、大阪、滋賀と、各地を転々としての撮影になりました。
 国宝級の場所や長い歴史を感じさせる場所をそのままお借りし、使わせていただけたのが幸せでした。東郷邸(京都府舞鶴市)の居間で清霞が食事をしたり、藤井彦四郎邸(滋賀県東近江市)のお台所で美世が料理を作ったりと、実際の居間で居間のシーン、お台所でお台所のシーンを撮れたのもありがたかったです。また、六華苑(三重県桑名市)や舞鶴赤れんがパーク(京都府舞鶴市)ではバトルアクションシーンも撮らせていただけました。映画をご覧になった方が各ロケ地を巡り、清霞や美世の存在を肌で感じていただく楽しみ方もできると思います。
── 撮影での苦労はありましたか?
 雪には悩まされました。1月下旬から3月まで続いた撮影ですが、特に舞鶴の雪には悩まされました。撮影前から言われてはいたんです。「冬の舞鶴をなめないように」って。なのに、なぜ警告を無視したのか…(笑)。あの時の自分に反省を促したいです。全く無視したわけではなく、舞鶴での撮影はスケジュールの後半に組んだんですが、例年より雪の季節が長くて。大勢のスタッフが雪掻き要員になってしまいました。掻いているそばから雪が降ってきたりもして、「本当にごめんね」と思いました(笑)。 
── “明治・大正を思わせる世界”は、どのように構築していったのでしょうか?
 原作小説にマーカーを引き、スタッフと共有しながら1つ1つ再現していきました。それに並行し、明治・大正時代の生活に触れた文献を調べたりもしました。例えば、当時の卵焼きは今よりも白いものだったらしくて。美世が清霞に出す御膳の卵焼きも、なるべく白っぽいものにしました。ご飯の色も、今の白米とは違っていたようです。清霞の部屋の入口近くに軍服が掛けてあるのも、当時はクローゼットなどに仕舞う習慣があまりなかったという文献を読んでのこと。美しい洋服掛けを、美術班がこだわって作ってくれました。あと、美世が清霞に贈る組紐は原作だと「紫」という表現ですが、当時は紫の糸が非常に高価だったらしくて。ならば青と紅を合わせて紫の色にしたのではないかと、みんなで考えていきました。あの組紐は今田さんが習いに行き、ご自分で編んだものです。
── 塚原監督にとって、『わたしの幸せな結婚』はどんな映画になりましたか?
 1本前に撮らせていただいた『コーヒーが冷めないうちに』の原作はオムニバスで、ドラマの形式に近いアプローチで撮れる作品でした。けれど今回の『わたしの幸せな結婚』では、ドラマと映画の違いはなんだろう?という問題に直面することにはなって。「違いはない」という答えにたどり着くのか、本数を重ねていく中で違いをもっと理解することになるのか。それはまだ分かりませんが、エンターテインメント作品として楽しんでもらえる世界に様々な方法でアプローチしたい気持ちが強まったのは確かです。オリジナルでも原作のあるものでも、2時間で語るべき物語ってあるんですよね。そういったものも今までは連続ドラマとして想定していましたが、「映画にする」というカードが私の中にできたのはこの作品のおかげだと思います。